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「こころ」


こころ (集英社文庫)こころ (集英社文庫)
(1991/02/25)
夏目 漱石

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4-5回は読んだのでしょうか、こころ。

擦り切れるほど読み込んだ、と言い切るほど熱中しているわけではございませんし、そんなバイブルのような本にはまだ出会っておりませんが、夏目漱石と太宰治の本は比較的読んだ回数が多い本であると思います(漫画ならマスターキートンは本当に擦り切れるほど読んで、ページがぼろぼろです)。読むたびに得るものがあるというわけではなく、文章・文体が醸し出す雰囲気に浸ってみたいと思って読む。そういう楽しみ方をしております。

さて今回、こころを読んで感じたことは、情報格差と仕事への価値観(素直さ?違いを受け入れること?)でしょうか。

まず、先生も主人公も友人も奥さんも妻も、あらゆる登場人物が知っている情報が少ない。自分の知らないことを知っている人はそれだけで尊敬されうるものであり(知っている内容がどうあれ)、尊敬されうる人が言っていることは畢竟そのまま正しいこととなりうる。比較する情報がないから上を目指さないし、「先生」が先生でいれてしまう。今では知識は「検索」という手段によってすぐに平準化されてしまい、深さのほうが大事になってきているが、この時代は広さでも十分に勝負できたのでしょうか。

そして、情報が少ないからゆえか、職業で何になりたいとか思ってる人のほうが少なく、やりがいだどうだとか、夢だどうだとか、そんなことを考えてる人は少なかったであろうこと。目の前に差し出されたものを、そのまま受け取る。そうした人生が基本的なものであったであろうこと。すべて、ほかを知らないのだから(そして知らないように教育されているのだから)、比較のしようもなかったこと。素直に自分の仕事を受け入れ、精進し、どの仕事が楽だとか難しいとか、ブラックだとか、そんな意識が今よりも少なかったであろうこと。だって、知らないんだもの。そうして、労働者階級であっても、ある程度のお金を稼ぐことが出来れば、それなりに幸せな人生を送ることが出来てしまう(先生自身が幸せと思っていないことはさておき)。物質的な豊かさはもしかすると劣っていたかもしれませんが、それぞれの価値観と生活がマッチしていれば人生は幸福なものだったのでしょう。労働者には労働者の楽しみがあり、資本家には資本家の楽しみがあったはずです。

ひるがえって、日本は総中流などの時代を経て同質化が進んでしまい、楽しむことも苦しむことも価値観ベースで同じようなものになってしまった気がします。生活のランクは違うのに。ブラック企業だなんだと言われますが、それも他人と時給を比べたりするから生じるものであって、本来働くことが持っている満足感や楽しさという魅力は失われてしまったのでしょうか。商人が卑しい職業と言われていたころからすると、今の商人礼賛はなんという時代なのでしょうね。

情報格差を埋めることでもたらされるのは基本的生活面での価値観平準化と、趣味的思考の分野での価値観細分化だという考えが更に強まったように感じます。
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